赤穂義士休息の地
今日は忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入りがあった日。旧暦だと12月14日だけど新暦なら今日になる。両国の吉良邸で討ち入りを果たし本懐を遂げた赤穂浪士47人が泉岳寺へ向かう途中の出来事。泉岳寺までの道のり、幕府管轄の武家屋敷を避け両国橋を渡らず永代橋まで隅田川沿いに南下した一行。永代橋の手前にあった「乳熊屋」という味噌屋の主人が赤穂浪士の労をねぎらって甘酒をふるまったという「赤穂義士休息の地」の碑。約200年前にウチのすぐ近くを通ったのか。一時の休息を終えた赤穂義士は主君の眠る泉岳寺の墓前に吉良の首を供えた後、幕府へ自首、そして切腹。切腹したのは46人、唯一の足軽だった寺坂吉右衛門は生き証人として切腹を免れた。現在、泉岳寺には48基の墓石があり寺坂吉右衛門も含まれている。もうひとつは主君と家族の板ばさみで討ち入り直前に切腹してしまった萱野三平のもの。こんど泉岳寺にも行ってみようと思う。